2006.12.16

たとえばウイニー

例え話は好きではないが
わかりにくい物事を理解するときは有効と思う。
たとえば
ウイニーという「ファイル共有ソフト」を作った「プログラマー」が著作権侵害を助ける結果を招いたとして
「著作権侵害幇助の罪」に問われる。
これは、
「エロ漫画」を描いた「漫画家」が世の中の風俗秩序を乱す結果を招いたとして
「痴漢幇助の罪」に問われること、と同義と考えられる。
考えれるけれどそれが正解かどうかは知らない。
何故ならエロ漫画自体は罪ではないけれど、ファイル共有ソフトは罪かどうか?というとよくわからない。
そりゃあエロ描写の程度にもよるだろうけれどちゃんと可不可の境界線はあります。
局部を鮮明に描写しちゃいけません、とか。
ではファイル共有も程度問題だとすると、やっちゃいけないことの境界線はどこにあるのだ?
新しいテクノロジーだけに誰にもわからない。常識がないんだもん。
局部の鮮明描写がだめなのはそれが常識だからですよね。
常識を破っちゃうと困る人が世の中に多いから、それはダメなんです。
コンピュータデータファイルを共有することは新しい事柄だったので
エロ漫画を抑えるようなことが、世の中にできなかったんだな。
で、新しいコンピュータという技術はあっという間に普及したし、
扱い方の知識やその常識の共有もままならない間に
ウイルスという悪玉ソフトウエアもついでに普及して、
結果的に個人情報などの局部がでちゃったということか。
どこまで描いたら怒られるのかを知らずに描いちゃったエロ漫画家を罪に問うことが
できるのか?という事件と思えば分かりやすいのかね。
どうなんでしょ?

ところで
僕はウイニーというソフトのことは基本的によく知りません。
以前、家人が知り合いから「タダで映画が観られるソフトがある」といって
もらってきましたが、すぐ削除しました。
なぜかというとモノの貸し借りには礼儀があって、
どこの誰だか知らない人のものをタダで勝手に借りてくるのは
失礼だと思ったのです。
借りるときには「貸してね」というお願いの一言と
「これ観てみ、面白いから」という貸し手の思いというお互いの接点が大事だと思っているのです。
その点で常識に反するフリーソフトだなあ、という第一印象でしたが
同じように僕の持っているものを誰だか知らない人が勝手に持って行く仕組みなのですから
考えようではかなりフェアなソフトでもあるとも思います。

こういう認識で合っていますか?
なんだか新しいテクノロジーの問題ではなくて
扱う人間の道徳問題のような気がしてきました。

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2005.08.11

解散の話

散開
昔の話で恐縮だが
イエローマジックオーケストラが止めるとき
「解散」と言わず「散開する」と彼らは言った。
なんとなく意図するところが知れる。
解いて散るのではなく、散り開くのだ。
で、いいと思う。

僕はアーティストという人種は、基本的に何をやってもいいと思っている。
それはその始まりが、多分好き嫌いから始まっているからなのだと思う。
音楽でも絵でも何でもいいけど
好きで始めたものが認められてたまたまそれで食えているのだ。
好きなことで食えるってことはそれだけですごいことだが、
でも食えるってことは「市場」があるということだから
市場におもねることで「ゼイタクに食うこと」が大事なことになっている人たちもいるだろうけれど。


で、コイズミが解散をした。
まず参議院での表決結果を衆議院に反映させる理屈が理解できない。
自民党内の対立議員の選挙区に、自民党自らの対立候補を立てるという
「下品な」事まで臆面もなくする。
と思えば、対立議員の側は自ら潔く自民党を辞するでもなく
「自民党を愛している」などとこれまた臆面もなくいいつつ反発する。
野党はそろって「存在感のアピール」のみに留まり打って出る覚悟を見せない。

何が行われているのか
どこを目指しているのかますますよくわからなくなっている。
郵便局の民営化がなぜ双方譲れないか、ぼくにはちーともわからないぞ。

まあとにかく選挙なのだが
ちゃんと誰が何をしたか覚えておくことが大事だと思うのだ。
自分の主政策が覆ったからといって可決判断を下した衆院を解散したコイズミや
派閥領袖を辞めるといったのに選挙になったとたん翻したモリや
党を割るほど反発したのに自民党に留まる反対派議員や
選挙を戦えないからといって社民党を出た党副代表もいたな。
それに、いまさらツジモトやムネオや自殺した議員の奥さんを担ぎ出す政党や
のこのこ出てくるその本人たち。

何でもありはパンクロックシーンでは当たり前だが
デストロイにも程があると思うぞ。
まったくキミたちと同じリズムでは踊れないな。
いったいキミたちは何が好きなんだい?

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2005.02.08

iPod

とんとご無沙汰であった物欲が戻ってきたのは
iPodのおかげである。
なんだか妙に欲しい。
買いたい、欲しい、使ってみたい。
Appleのうまいところは
人の欲求に従ってミもふたもないプロダクトを
ぽんと作ってみせるところにある。
革新的なテクノロジーやギミックをそれ自体が目的ではなく
どうすれば気持ちいいか?を実現するために用いるからこそ
プロダクト自体を注目させる方法だと確信しているな、あれは。
iPodのでかいやつの裏面は鏡面仕様になっているが
あれはデザイナーがこだわって採用して
日本の、それも中小企業が独占製作しているらしい。
そこしかつくれないクオリティらしいぞ。
こだわるAppleもAppleだが、応える日本の技術者も石頭だなあ。
ずっとMacintoshを使っていたのだが
3年くらい前にWindowsに鞍替えをしてしまった。
使い方が仕事に重点が移ってきて
安価なハードをさがすとどうしてもそうなるのだ。
いまやデザインや音楽制作にもマイクロソフトは進出してきて
Macはその優位性を発揮できる領域が少なくなってきている。
操作性はどう考えてもMacのほうが上なのだがな。
ただ、日本語を扱うとなるとどっちもどっちですが。

で、件のiPodですが
残念ながら買いません。
金がないのもさることながら
僕はイヤホンが苦手で、かのウオークマンでさえ持っていませんでした。
耳にさしたりかけたりするのが猛烈に嫌なのです。
イヤホンをつけると肩がこってきてたまらんのです。
もう気分が悪くなるのです。いやいや。
ヘッドホンの形になっているとどうにか我慢できる範囲なのですが
そんな大げさなことしてまで外で音楽を聴くのは趣味ではないので
欲しいけれど買いません。
ひょっとしてもしかして物欲の悪魔に負けて買ってしまうことがあるかもしれませんが
決して愛用することはないでしょう。
所有欲って罪な感情よね。
ああ、花粉症のエコロジストのようなこのカラダがニクイ。

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2005.02.07

TSUNAMI以降

サザンオールスターズの話である。
このところのサザンオールスターズの曲は
どれも同じに聞こえて区別がつかなくなってきた。
とうとう俺は頭の中までジジイになって、感性が鈍ってきたのか?
若者の時代が過ぎてしまったのかと、内心しょんぼりしていたのだが
勇気を奮っておそるおそる家人に訊いてみるとあっさり
「アタシはだいぶ前からそうよ」
おお、やっぱりそうか!
クワタ節などと呼ばれ確かにずいぶん長い間シーンにその地位は揺るがず
昔から格好いい曲を連発していたのだが
TSUNAMIくらいからか「手癖でつくってるなあ」という印象を持っていた。
いかにも「謹製・桑田佳佑」という感じ満載で
安心はするが面白くないのだ。
プロモーションビデオなどは凝りまくりで楽しいのだが
曲自体はどれを聴いても同じ唄に聴こえる。
以前は違ったんですけどね、もっとパンクな感じがして。
バンド自体のセールスが大きくなりすぎてるのか
活動の印象は“バンド”というより老舗の劇団みたいになってるもんなあ。
まあキャリアが長くなるとある程度仕方がないのかもしれないけど。

と、アーティストのせいにしたのだが
もしかしたら「我が家がそろってジジイとババアになっている」かもしれないことは
言わないことにしている。

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2005.01.13

星新一

文庫本というものを知ったのは小学生の頃だった。
よくいるちょっと賢こめタイプの友達が読んでいたのだが
それをみて格好いいと思った。

ショートショートというジャンルはなんだかお手軽なような気がして
幼い小学生の僕は文庫本をたくさん読み漁ったものだが、
よく考えると大変な小説形式で、ひたすら“粋”が必要なジャンルだと思う。
星新一はたしか1000篇を超えるくらいショートショート作品があったはずだと思う。
長編も書いてはいるが長編を仕上げるのとショートショート1篇仕上げるのは
ある種同じ神経を使うと思う。
たくさん書いていると同じようなテーマや手法や文体が、絶対に出てくるはずなので
それを乗り越えて1000種の物語りを書くのは驚異といっていいと思う。
全部読んだわけではないのでわからないのだが
本として世に出ているということは作品として成り立っているのだろう。

作者はもう亡くなっておられるので
新作が出ることはもうない。
だからといってこの世の書店の棚から作品が淘汰されてゆくのは納得がいかない。
これらに勝る作品がのしてゆくのなら、それはそれでいいのだが
どうでもいいのが棚を席巻しているのが面白くないです。
出版社も書店も、商売なのだから仕方ないとは思うけれども
せめて覚えておくべき名著・書籍くらいはは残して置いて欲しいもんです。

それにしても星新一って、名前からしてかっこいいよねえ。

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2005.01.06

日本放送協会 その4

もう愛想もなにも尽きているのだが
あまりに腹立たしいので書く。

大晦日は紅白歌合戦を見ていた。
家人の実家であまり毒を吐いてはいけないと思いおとなしくみていたが
あまりにつまらないので途中で寝てしまった。
仮にもホールで催す音楽番組で最前列に関係者(審査員といえども)を座らせるところに
制作側の姿勢が表れています。まるで公開オーデションのようでした。
大事なのは盛り上がりではなく
「歌合戦」の図式であり年間の話題を総括する出演者(応援者・審査員を含めた)だったようです。
しかしながら「歌合戦」形式自体がもう古いし
前評判どおり年間総括をできる出演者を確保できなかったから、それも叶わなかった。
韓国スターが出たところで、とうとうとしゃべって終わりでは盛り上がれないでしょう?
観ていて“絵が古臭い”し安っぽい作りだと思った。
僕は格闘技もそんなに好きではないのだが
ちらりとみた限り、映される絵には“魅せてやろう”という意思を感じた。
NHKにはそれがないんだもん。
又聞きでは出演者のギャラは民放に比べるととても安いらしいので
そりゃあプロデューサーも制作費浮かして着服できるだろうと思ったですよ。

NHK・海老沢会長、事実上の辞意表明

やっと辞めること考えたように見えますが
こっちの記事をみて頭にきました。

海老沢NHK会長 3月辞任示唆?

会長サンは年頭の非公開職員向け挨拶の場でこういったと言う。
『「言われなき誹謗(ひぼう)中傷に屈することなく、元気と勇気、自信と誇りを持って、難局を乗り切ってほしい 」と呼び掛けた。』

この度の紅白歌合戦は史上最低の視聴率を記録したらしいが
あれをみて僕はNHKの姿勢がよくわかりました。
会長だけではなく組織ぐるみでこれからもつまらない番組をつくるつもりだな。
で、隙あらば制作費を着服する、と。
さては会長が辞めないのは自分も何か人に言えないことをやってるんだな。
だから「改革の道筋」とかいいながら現体制の維持を画策して
それがかなう後継者を、いま選んで(つくって)いるんだと思う。
たとえ会長が辞めても変わりませんよ、あれは。

その3
その2
その1

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2004.12.28

映画

映画といえば、浜村淳である。
関西以外の人には馴染みがないだろうが
朝のラジオで“ありがとう”といえばこの人で、この人といえば映画なのだ。

「ローマの休日」がデジタルリマスターでDVD発売される時だったと思うが
ラジオでとうとうとあらすじを喋ってくれた。
これがもう絶品なのだ。
車で移動中に聞いていたのだが、車止めてつい最後まで聞いちゃった。
僕はまだ観ていなかった映画なのだが、
浜村淳の話と有名なヘップバーンの映像とをアタマの中で組み合わせて
ちゃんと映画を最初から終わりまで観たような気になった。
ほんとにもう実際観なくてもいいくらいの気持ちになってしまったから困ったもんです。

これが新作映画の時にはちゃんと、ちょうど盛り上がるところで止める。
あたりまえだけど。
たまに盛り上がりきったところで勢いあまって結末のヒントらしきものを
ちらりと言ったりする。これがまたキクのだ。
ああ、そこまで言ったんなら結末も言っちゃってよぅ、と何度思ったことか。
よく映画館まで観に行きました、
浜村純の解説講釈の続きを観に。

映画は総合芸術だとよくいわれるけれど
こういう映画解説という裾野があることもその所以のひとつなのだな。
僕にとって映画は、だいたい「浜村淳のつづき」なのだ。

ありがとう浜村淳です

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2004.12.24

漫画

漫画を読むとバカになる、といわれた頃があった。
小説などの「ご本」のほうが偉く漫画などは一段低いメディアだったのだが
いまやエンターテイメントの真ん中あたりにいて大きな産業でもある。
新しいキャラクターやコンテンツなどが一番出てきやすいメディアではないかと思う。
まあ、漫画と玩具とゲームなどは同時進行でやってるところが大きいのだろうけれど。

とにかく僕が子供の頃は
漫画を読む奴はバカだったのだ。
よく考えると、これは当たってないけど遠くないことでもある。
漫画は一ページあたりの情報量が小説などと比べると、とんでもなく大きい。
ということは読んで理解しやすいということになって
読むのに想像力や理解力があまり要らないということにつながる。
電車の中などで読み捨てられる漫画雑誌が多いのは「読むのが楽」だからだ。

反対に、情報量が多いということは
作家の側からすると「意図を正確に伝えやすい」という強みをもつことに繋がると思う。
精密に描き込んだページが迫力を放つように
意図された余白には静寂や寂寥感を語らせることができる。
コマの割り方にさえ意味を持たせることができるのだ。

ということは漫画は作り手側の意図によって
軽く消費されるものやすばらしい娯楽読み物や
教材になったり重いメッセージを含ませたものまで使い分けられる
本当によくできたメディアなのだと思う。
だってそれがほぼ紙とペンだけで制作できるんだから、
受け手にとっても送り手にとっても入り口のハードルは低い。
しかしその中は、幅が広くて深くて高くて、そしてビジネスと見ても甘くて辛いという、
とても考えなしに接していてはいけないものなのだ。

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